今朝8:30ごろ、窓を開けて寝ていた自分の耳に遠くから聞こえてきた低いトーンの男性の声。
この頃は自分の家の前の通りを一本挟んだ斜向いでアパートだかマンションだかを新しく建てる工事をしている。そこから聞こえてきたそんな声に目覚めとほぼ同時にフォーカスしている自分がいた。
その声は怒鳴り声でも張り上げた声でもなく落ち着き払ったトーンで放たれていた。耳を傾けるともう一度まったく同じ感じで同じ言葉が放たれた。自分の中から少なからず嫌悪感が出てきたのを感じた。
現場仕事の友達同士や先輩後輩でふざけあっているだけかもしれない。そうも考えたけど、なんとなく今朝はすごく氣になったのでそんな自分自身にフォーカスしてみた。
このフレーズに対する自分が抱いているイメージ
- 威圧
- 怒り
- 争い
- 恐怖
- 古さ
- 懐かしさ
- 両親のけんか
- 父親
- 当時恐いと感じていたスクールメイトたち
週○少○ジャンプ
とかかなぁ、、、
そんなことを思いながら寝汗をさっぱりさせたくて水風呂に入っていた。そしたらこの出来事のタイミングがバッチリだったみたいで3つのことがつながって色々氣づけた!
3つのことっていうのは
- 「オマエ、アトデオボエトケヨ」
- 三年半以上にわたってパッキュン観察脳内日記をつけてくれているとある人が昨晩電話でギフトしてくれたいくつかの言葉(感情を出さない癖、本音を素直に言わない癖など)
- 昨日書いた記事の『他人に恐れなどのプレッシャーを与えないように小ささ弱さをまとうようにもなっていた。』の部分
『感情を出さない癖、本音を素直に言わない癖、本音であれば本音であるほど表現出来ない癖、他人に恐れなどのプレッシャーを与えないように過度に小ささや弱さをまとおうと心がけていたこと』これらの原因がハッキリと分かった。
小さい頃、両親のけんかを見るのが嫌だった。
小さい頃、両親(特に父親)から怒られるのが嫌だった。
イライラしている人が嫌いだった。
友達とのけんかやいじめられるのも嫌だった。
大好きだと感じていた人達が感情をむき出しにして暴言を投げつけ合っている。時には暴力も振り合っている。
威圧的な態度で怒り狂って相手を圧倒して恐怖さえさせようとしている。
怒られたり八つ当たりされたりしている時は高確率で理不尽な内容だと感じていたからなおさら嫌だった。怒鳴られたり殴られたり蹴られたり。
この辺の過去の記憶がとても大きな原因になっているんだろうなと感じた。
今でも威圧的な人や怒っている人やイライラしている人や怒鳴り声や脅そうとしてる人が苦手でついつい反応したり反発したり嫌悪してしまう。
去年滞在していた西表島でも(全くの理不尽ではなかったのだけれど)いきなり怒っている人におどろいてしまい『?』が出たし、外食をしている時にスタッフさん同士で少し言い合っていたり一方的に怒っているシーンとかに遭遇すると嫌悪感を抱いている自分に氣づく。最近場を盛り上げようとしてくれて「FU○K!!!」って叫んだ大好きな友達に「そういうのやめよう」って大真面目に言ったことも今思い出した。
感情的になっている人が嫌いだから自分は感情的にならないようにしているのだろう。
怒っている人が嫌いだから自分は怒らないようにしているのだろう。
イライラしている人が嫌いだから自分はイライラしないようにしているのだろう。
威圧的な人が嫌いだから自分は威圧的にならないようにやり過ぎなくらい心がけているのだろう。
意識し過ぎていて、やり過ぎていた自分に氣づけて良かった。
反応、反発、嫌悪、渇望などの『執着』に氣づけて良かった。
エネルギーの無駄遣いに氣づけて良かった。
ほどいて、とかして、ゆるめて、ゆるして、周波数を上げて、フォーカスしないようにしていこうと思っている。
近々このブログで『被害者意識モード卒業宣言』的な記事も書こうと思っている。けどそのためにも一度ちゃんと向き合おうと思う。